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2007年01月04日

Clonmacnoise

昨年12月26日、クロンマクノイスに行ってきた。

今までの旅行で、数回アスローン(Athlone Co. Offaly)を車で横切っているが一度も降りたことがなかった。ということで、今回の日帰り旅行は、アスローンから少し南に下ったところにあるクロンマクノイスに行くことにした。
夏なら、アスローンからクルーザーが出ていて、広大なシャノン河に魅了されながら、クロンマクノイスに行くことができるらしいのだが、今回は残念ながら真冬のため、オフシーズンであり運行はされていなかった(多分・・・ もしクロンマクノイスに行く人は、是非夏に行き、アスローンからクルーザーで広大なシャノン河を楽しんでください。

クロンマクノイスは、アイルランドの地理的な中心地であることから、宗教・教育・商業・技術さらに政治的中心地として発展してきた最も重要な地のひとつであり、この類の古代聖地の遺跡として、アイルランド最大のものとなる。
また、アイルランドに残されているハイ・クロスの中でも最も素晴らしいものが、クロンマクノイスにある 『 聖書の十字架(Cross of the Scrptures) 』 である。このハイ・クロスは、本体と輪のついた頭部が直立した1つの石を削って造られたもので、900年頃に造られたとされている。
確かにあまりハイ・クロスに興味のなかった私もこれだけは、パチッとシャッターを押してしまいました。

Temple Connor
<Temple Connor>

『 Temple Connor 』 と 『 Temple Finghin 』 の背景に見えているのは、湖ではなく、シャノン河なのです。広大なシャノン河は、思わず湖と思わせるほど広い。

Temple Finghin
<Temple Finghin>


Cathedral
<Cathedral>


クロンマクノイス( Clonmacnoise )
オファリー県( Co. Offaly )

アスローン( Athlone )の南のクロンマクノイス( Clonmacnoise )にある古代の聖地の遺跡はこの類の遺跡ではアイルランド最大のものです。

クロンマクノイス(アイルランド語で Cluain Mhic Nois<Nos の息子の草原の意味>に由来)は、職人の長または大工の息子であった、聖者キアラン(Ciaran)によって西暦548年に建てられました。シャノン(Shannon)河の流れに沿った広大な低湿地を見渡す丘のふもとに位置するこの場所では、古代にはアイルランドの南北を繋ぐ重要な幹線水路であったシャノン河が交じり、氷河時代に形成されたエスカー地形に沿った東西の主要道路が交差するため、アイルランドの最も重要な地のひとつでした。地理的な中心地であることから、クロンマクノイスは宗教、教育、商業、技術さらに政治的中心地へと発展していきました。この地は、聖者キアランの埋葬地であることから、1500年間にわたり巡礼者が訪れています。

クロンマクノイスには10世紀から17世紀に建築された複数の教会、ラウンド・タワー、城、3つのストーン・クロス(石造りの十字架)さらに数多くの墓標が刻まれた古代の石版などがあります。聖職者以外の平信徒の数が多かったことから、当時は修道院よりも通常の町のような活気がありました。町のすべての住居は木造であったため現在は残されていませんが、発掘調査中にその跡形が発見されています。最古の教会も木造でしたが10世紀に石造のものに建て替えられました。この集落は盛り土で囲まれていたと想像されますが、これを証明する痕跡は見つかっていません。

ミース県(Meath)とコナート(Connacht)地方の境界であるクロンマクノイスは、両地域の有力な王から恩恵を受けました。これら歴代の王にはアイルランド国王も含みまれます。修道院は、9世紀まではコナート地方の王と密接な関係がありました。その後、11世紀まではミース県の王との同盟が結ばれ、後に11世紀後半から12世紀にかけて、再度コナートの王との関係が復活されました。クロンマクノイスはバイキングやアングロ・ノルマンなどの敵軍に何度も侵略され、13世紀からは衰退の一途をたどり、疲弊した教会となりました。その後、1552年にアスローンから攻めてきた英国軍隊によって廃墟にされました。

クロンマクノイスは1877年に国定遺跡に指定され、現在はDuchas(デュカス:芸術/遺跡/アイルランド語地域/島しょ部省の遺跡サービス局)によって管理されています。 (敷地内に実際に建てられている十字架は複製であり、オリジナルは保護のためビジター・センター館内に収められています。)